昭和39年12月4日 夜の御理解   入力者松本正宏
 
「⑦」 大奥様についてのご理解


(途中から)誰がちょいと(?)私も思うたのです。一生懸命その、あり難い勿体無いのじゃないのですね。やはり、誰か手伝うてくれりゃよか(  ?  )言うようなものが感じれられるのです。その御用の態度の中から。これはいつものことですけれども、本当に、家内にちっと荷が重すぎるというぐらい(        ?   )これだけ。本当に一服する暇(     ?    )。あんただん、そげな事思うたらとても問題じゃなかばいの、あんただんの修行はというて話したことでございましたけれどもね。その修行でもですたい、ね、これは、やっぱり神様が家内に求めてあるとです。これは、無言の中にです。ね。ここで沢山の人が助からなければならん。私も一生懸命なら家内もなにかによってなら、いわば、私の信心を援助してくれる。押してくれる。私の修行にいわば修行のかせをしてくれる。そのかせを神様がさせござるとです。だから、これは他のものには頼まれん。大坪五十枝たのんじゃるとですけん、家内が一生懸命そこを気付いておるかいないか知らないけれども、一生懸命なのです。これに気付いていればそれこそ(  ?  )これは私が神様に頼まれておることだと。神様に頼まれておる御用だと。という事になったらそれを徹底してあり難く受けさせて頂くというところから、家内は徳を受けるでしょうね。(?)私もとにかく御飯頂きながらその有り難くして(?)というようなものがあったのですけれども、今日は今朝から家内に対して何か知らんけれども、こう、家内の心を思いよるといった感じでいっぱいだったのです。だからその思いだけで、今日1日家内に対して過ごさせて頂いたのですよね。(   ?    )板張りにもう洗濯物がいっぱいこう打ちたててあるのです。それを私(?)持っていきながらです、ちょいと誰か手伝うてくれりゃよかと(     ?    )不平を言いながら一緒に、(    ?      )不平を言いながら一生懸命、もう一生懸命なんです。もう朝から晩までそれこそ。だから本当にあれは信心でなからなければ不平不足を言うたり、してもらうごたるごと私は思います。ね。けれども、それもやはりです、私、私を中心にしてこれだけ沢山の人が助かっておる。その私1人じゃ足りないところをやはり(?)家内に神様が頼みござっとです。あの御用は。だから家内がこうやって神様から頼まれておると思うたら、(  ?   )それが神様が(?)ね、家内が誰々さんここばいっちょしてくれんのと、(   ?  )例えば言うならばそれは丁度神様が大坪五十枝には頼まにゃよかったと言いなさる事なるだろうと思うですね。これは、恵みの中に神様に頼まれておる御用。家内は知るや知らずや一生懸命勤めておるというのです。
 今朝、奉仕しておりましたら、久富先生ところの四番目の息子が今大工の弟子にいっとるとが、この十二月に弟子離れをするのです。それで、弟子離れをするためにその前にです、(?)奇麗に出来たのですね。(?)立派に出来たそうです。昨日、(?)したわけなんですね。今日ここに出てまいりましてからですもん。ここの、色んな大工のがさがさあるとば1日おかげを言いよりましたから、今日来たから、今日来てくれたと(  ?  )勿論やっぱそうだったんです。けれどもここでお初穂を包んでから、この、何か一生懸命で頼み事をしよる。(   ?  )おとなしいですから物がいえんとですたいね。それであの、今日はまた、ご苦労さんと私はその事(   ?  )きっかけが出来た、先生あのお願いがございますち言うたですもん。なんじゃろうかと思うたら、もうおかげで風呂が立派に出来ましたとこういうわけなんですね。ですから、あの、お父さんに一番に入ってもらいたいと思いますがそのことがお許し頂けますでしょうかちいうてから、その言うわけです。私はもう、本当に(?)言うてですね、もう十何年間先生はお風呂に入っておりませんからね。もう本当私は本当にお礼を言いたいごたる気持ちでした。ね。それがその、修行をお父さんがしよることを知っておるもんですから、私が出来んといいやせんじゃろうかとこう思っておるわけです。で一生懸命。
 ね。それで、私久富先生に言うておりましたから、今日はお父さんばはよかえらそう
、というとったら、私は(  ?  )かえっとるさるもんと思うとった。したら、夕御飯の時分になったら、もう帰ってきたと私はもう行って帰ってきたと思うたもんだから、そしたら、なんでしょうかちいうたけん、あんた今日は、今日からあんたはお風呂のお許しをいただいとるとばい、(   ?  )はあそうでしたかち、もう本当に大変感激されました。それなら先生お許しを頂いて今からすぐ帰らせていただきますというて、これ先生お神酒どん(     ?     )私は他所の(?)必ず一級酒を差し上げる先生方にでも。けれども、私は久富先生だけには私は二級酒しかさげんのです。いつも。で、(  ?  )いつも知っておるものだから、二級酒を1本さげていきよった。今日は一級酒、(?)というて、出した後にです、あれはなんちいう銘柄のお酒ねち言うたら先生、万代でございますち。私はもうおかげを頂いて(感動)おかげがおかげを(?)おかげ頂かなきゃいかんというわけです。
 万代まで(?)。(  ?  )本当にこれだけはやっぱ久富先生は徹底しぬかれたのです。だから子供としては、とにかくせっかくのお風呂が出来たのにお父さんが入らんと(?)のですたい。その辺が非常にこうなんていう、情が湧くですもんね。四番目の息子、大工にいっとりますとは。それが、あんたがお願いするなら神様がお許ししなさらんはずなかばいというて私は大変喜んだですね。おかげ頂きましたちいうてから、今日一日御用を頂いて帰りました。
 昨日の朝のご祈念の後でしたでしょうか、高島さんがここでお取次ぎを頂かれました。今あの化粧品と寝具の御用を頂いておられる、大変繁盛しよるのですよね。毎日私はそれをお届けを聞かせてもろうてから、本当にやっぱりあんただんが一生懸命辛抱させていただきよるけん神様がおかげを下さりよるなあと、いやせんけれども思いよるのです。ね。実は、ある大きなところからまとまってです、大変大きなところから、まとまってです、それこそ、大変なまとまった金額のそれをみたいまた、買いたいというてある人を通していうてきておるわけです。ところがそれだけまとまった資本がないわけです。向こうから取り寄せ。それで、親先生のお許しを頂いたら今度は今大阪に(?)いっとりますから、そのついでに帰りに向こうのほうからそれを融通してもらうことはできんだろうか、あの、相談をしてきたいからその、お許しならお許しを頂いたらすぐ電報を打てというて大阪に立ってるわけなんです。で、(?)その事をお届けするわけなんです。そりゃおかげだなあと私思うてからすぐ、神様にその事をお届けさせて頂いた。そしたらですね神様からですね、あれは何と頂いたね、先は長いと頂いた。まだ、そげなこっちゃなか。まあ、そげな事今、がばがば儲けよったらまだできんち神様から(?)。(?)がばがば儲けるのがおかげと思うたらそうじゃなかち。今それで丁度よかち。ね。資本はできた、まとまった資本はできた。これならおかげだ。帰ってからすぐではまだでけん。儲かる事だけが目的じゃなか。本当に幸せになることが目的。そういうようなその言葉の中に私は感じたのです。ところがここは本当にこの人たちご夫婦はですね、もう本当に、(?)一声ですもんね。そしてもう、(   ?  )すきっとしたんですね。(?)ありがたい。そこにいきゃ私は高島さん達がおかげを頂く所以があると思うのですよね。
 例えば現在の高嶋さん達からしたらすればです、これも昨日はお届けがありました。もう先生お風呂でがくがくになってからですね、もうどげんしたっちゃもう入る時には半分減ってしもうとるちいうわけです。だからお風呂いっちょから先に頂きたいと思いますがちいうたらまだまだちいうわけ。それから暫くしてから、(?)いっぱいつめちからしましたちいうてからまた、(?)おかげを頂かんのちいうかと思うとでしょう、(?)としては。だから、いやそりゃおかげを頂きなさる、それでよかち私は言うておるもんだから、もう自分もそのね、そこへんがありがたいとです。信心とは。ね。そりゃ例えば現在高島さん達がおかげを頂かれるという事、もうおかげを頂いておる状態から言うたら、風呂おけいっちょくらい全然無駄じゃないです。けれどもです、けれどもそこんところを親先生のお許しを頂かなければとそれに、徹底しておるという事。それにはどういうようなものがあるかという事です。ね。神様が私はおかげをおかげの、おかげにおかげが生まれていくようなおかげを頂かせたいばっかりの思いがその中にあることをしらなければなりません。先日からも、(?)さんかたの奥さんの(?)着物を注文された後にお届けをされた。それがまた私先生もう本当、お届けもしよりましたから(?)というのです。ね。文男先生にお願いしてあった。ところがこらっしゃるたんびに忘れちゃる。これはいよいよまだいらんぞとこういいござるととこう思うてから先生どうぞいつまっでん(?)お願いしてくださいというお届けがありました。ね。けれども、それはそれとしてです、せっかく頼んでおるのだから、ね、それはそれとして、おかげを頂いてもよかろうばってんかです、これからは着物一枚(?)いうてから(?)作るような事はしなさんなと私はもうしました。ね。そこにどういうご神意があるか分からんのです。神様がその人にどういう修行を求めておるだろうと分からんのです。
 そこんところを本当に徹底し抜かせて頂いておかげを頂かせて頂かなければなりません。そこにはです、その甘木の親先生のお言葉一つをです、ね、自分の心の中に忘れられないというておられる。そんならあんたにたのまにゃよかったということ。どういう大事な御用を頼みなさるかわからん。それは例えば神様からいわば師匠から、という場合もございましょう。私共家内のように無言の中、ね、限りない神様の願いというものが、私共の家内に掛けられておる。それを家内は一生懸命御用を頂いておる。そこを気づかせて頂いたら、あの無言の神様の大坪五十枝これだけはお前でなからなければ出きんから頼むというておられることを私はその神の声を聞いたらあれが、不平も言わず不足も言わずありがたいとして頂けていけるのじゃないだろう。
 高嶋さんと久富先生の事の例を持ってその事を申しましたがです、そういう調子で私は今日言うことを聞いて頂かなければいけないと思いますね。いい加減にしてはならん。そいう信心から私はおかげがおかげを生んでいくようなおかげを万代じゃない、いついつまでも尽きぬおかげを頂けれる為にです、そうして徳をつけさせてやろうという信心をです悟らなければいけんでしょうね。
                        おかげを頂かなきゃなりません。